アルゼンチンタンゴ

“アルゼンチンタンゴと聞いて みなさんは何をイメージされるでしょう?”

情熱的な男女の距離感、ゆったりと紡ぐタンゴの調べ、あるいは、激しく足を絡めるステップ…

不思議な魅力をもつ アルゼンチンタンゴを少し分かりやすく ご説明しますね。アルゼンチンタンゴの発祥は 約130年前 (1880年頃)南米アルゼンチンの首都 ブエノスアイレスと、ウルグアイの首都 モンテビデオの間を流れる ラ プラタ川の 流域の一帯で 起きたとされています。

当時、職業を求め、 新天地への夢を重ね 多くのヨーロッパからの移民が訪れました。 しかし、労働は過酷で そのはけ口として 酒場などで踊られ タンゴの原型が誕生しました。その前からいた、アフリカ系黒人の もつ リズムや音楽、現地インディオの人々の 文化 音楽なども溶け込み  タンゴの音楽 を形成していきました。労働者のこのダンスが エレガントなスタイルに変化していったのは、後のパリでの大流行をきっかけに 本国アルゼンチンでも洗練されて沢山の、音楽、ダンスのアーティストが 生まれたという経緯もあります。過酷な状況下の労働者達が 遠い家族や恋人を思い または、娼婦と踊るために技術を磨き 時には男性同士で踊ったともされています。感じられる 哀愁や郷愁のマインドはこういった歴史から 伝えられてきたものでしょう。

実は私がタンゴを始める時持ってたイメージといえば社交ダンスのタンゴや、パソドブレ、スペインのフラメンコ、ジャズダンスのスパニッシュ的なニュアンス  明確な違いなどわからず ただ あんなペアダンスをしたい!というものでしたいや お恥ずかしいお話ですが そんなイメージをお持ちのかたも いるんじゃないですか? (笑)

さてさて さておき(///∇///)

フランスをはじめヨーロッパで流行したアルゼンチンタンゴは 一方では社交ダンスの種目のなかで 様式を変え コンチネンタルタンゴへと変化し、日本に伝えられた部分もあります。また、日本では 音楽としての流行が早く 沢山のタンゴファンが生まれました。ダンスとしては タンゴの舞台「タンゴアルヘンティーノ」や「フォーエバータンゴ」の公演が 日本のダンサー達に影響を、与えました。ミロンガ(タンゴのパーティー)で楽しむ「サロンタンゴ」の形にも、日本のダンサー達は大きく影響されました。日本のダンサー、先生達は スペイン語を学び 積極的に アルゼンチンに赴き 技術 文化を学び  日本で伝えました。賛同し尽力したアルゼンチン人のダンサー、先生達も沢山いました。

個人的な気持ちですが この先輩たちの恩恵を 忘れず、後世にも伝えたいと 痛感します。